BSフジ『ESPRIT JAPON』時代の先端を走り続ける演出振付家MIKIKOのルーツ (2015.01.31)
>>2015.03.19 追記:フランス語ナレーション版
演出振付家MIKIKOがPerfumeで確信 - YouTube
(上の動画は放送された内容の一部で非常に短いです)
◆[フランス語版動画]#04 Perfume x Einstein | Esprit Japon | noco
http://noco.tv/emission/17292/nolife/esprit-japon/04-perfume-x-einstein
Cette émission est disponible gratuitement sans compte noco jusqu'au 25/02/2015
↓上記のフランス語をGoogle翻訳↓
この問題は、2015年2月25日まで、アカウントのNOCOせずに使用可能です
(フランス語配信版は期限付き無料?)
特集して頂いた番組途中からですが、観ました。 事故というのは自分の身に起こるとは思わなかったという意味です! 誤解を招いたら嫌なので一応… 日本語って難しい… 密着、ありがとうございました。
— MIKIKO先生 (@mikiko_san) 2015, 1月 30
あと、まさか10年前のダンス映像と、密着映像が使われるとは思ってなくて、ひるんでる。。。
— MIKIKO先生 (@mikiko_san) 2015, 1月 30
(Perfumeの大ヒットは)事故…事故というか(笑)、ほんとに想定外の出来事で。5年生から教えていて、で、3人が自分達でぱふゅーむっていうグループを作って。その担当の先生になって。そっからずっとなんですね。(MIKIKO)
— Perfume bot (@prfmwords) 2015, 1月 31
彼女達が東京に出てきたときも、売れてなかったし、ほんとに売れると誰も思ってないぐらい、5人ぐらいのお客さんの前で…ね、踊ってみたりっていう日々を繰り返してたから、その…愛情だけで、売れなくてもずっと振り付けていく、いきたい、グループ、だったから(MIKIKO)
— Perfume bot (@prfmwords) 2015, 1月 31
ニューヨークに行ってもやめずにビデオレターで送っていたしっていう。ニューヨークにいたときは日本の情報を見ないようにしてたから、Perfumeが売れてることを知らなくて(笑)、帰ってきてみたら、えっ!?ポスターに3人がいるんだけど、みたいな。浦島太郎状態で。(MIKIKO)
— Perfume bot (@prfmwords) 2015, 1月 31
本人の発言、ナレーション等の文字起こし
(間違いなどありましたら修正します)
職業:演出振付家
1977年生まれ
広島県育ち
11月都内のスタジオ
この日は海外で今注目を浴びているダンスカンパニーELEVENPLAYのレッスンがあった
最初の1時間はウォームアップと聞いていたのだが
その内容はとてつもなくハード
MIKIKOが全国から集めた選りすぐりのメンバーとはいえアスリートのトレーニングのようだ
MIKIKO「ハードですかね?(笑)でもあれ本当に日々やっていることなので。バレエの要素とストリートの要素といろんな要素がミックスされている振り付けなのでどれもやらなきゃいけなくて。なので筋トレもするバレエの基礎も練習するっていうのが1時間に盛り込まれているからハードといえばハードだと思います」
MIKIKOがメンバーたちに望むこと
それは美しい体のラインが見える動き
魅力的なダンサーはただ立っているだけで美しい
そう彼女は言う
1時間体をみっちり体を作った後はいよいよ海外公演に向けての練習
ここでELEVENPLAYのメンバーが取り出したのは鉄のパイプ?
MIKIKO「どうしても海外に持っていける物の重量とか限られているので、分解できて組み立てできるものの中からああいう形を選んで、そういう工夫をしながらやっていたりするのでまず組み立てるところからみんなでやって、どうやったら滑りにくいとかっていうのも実際に踊る人たちが自分たちで工夫しながらやるっていうのを、このスタジオの時点から心がけてやってます」
MIKIKOが現場で悩むということはあまり無い。
何が最も効率的か瞬時に判断しているように見えた。
<メンバー達はMIKIKOのことをどう思っているのだろうか>
「全部終わった後に、本当に時間とか体の使い方とか全部、全く無駄な部分がない。全部終わった後に、わ!すごいやってほんとスケジュール配分とかもすごいです。ダンスだけじゃなくて」
「やるときはやる男らしさと、休憩とかの時の人間らしいチャーミングさというか、両方持ってらっしゃるんだと思います」
MIKIKOに演出を頼めば必ずヒットする。
いまや彼女とのコラボレーションを切望する企業やアーティストは後を絶たず。
多い時では一ヶ月にCM5本 MV3本 TV3本 をこなす多忙ぶり。
そんんなMIKIKOワールドの原点はどこにあるのだろうか。
<MIKIKOワールドはどうやって生まれたのか?>
広島県で育ち、月に1回の親子劇場を楽しみにする踊りが大好きな女の子だった
念願のダンスを始めたのは高校3年の頃
持ち前の妥協を許さない性格からメキメキ才能を伸ばし、わずか2年(19歳)でダンスを指導する側へとまわった
MIKIKO「魂が伝わるダンサーになりたいっていうのがあって(2005年)」
わずか19歳で先生と呼ばれた彼女はその後演出に専念
年に40本もの曲に振り付けをする人気振付師へと成長していった
周りから必要とされ充実した日々の連続だった
その後MIKIKOは腕を磨くため単身ニューヨークへ
だがそこで、彼女のおかれた状況が一変する
演出振り付け家として腕を磨くため(2006年)ニューヨークへ渡ったMIKIKOに初めて立ちはだかる厚い壁
MIKIKO「NY留学するっていうのもある日突然勧められて行った出来事だったんですけど。行く前の私が居たダンスシーンはアメリカのものが見本になっていて、"黒人ぽく踊る事"いかにそれが再現できるかが注目されていたんですけど、体型も私は特にボン・キュッってわけでもないし、やっぱりあれはあの体型の血が流れた人たちのダンスだったり表現方法だなっていうのをすごい感じて、それを真似している事自体が凄い恥ずかしいなって思って」
自分のやってきたことは欧米の真似事、そう感じた彼女は思わず立ち止まってしまったという
MIKIKO「作りたいという欲が本当に自分の中にあったのかというのが分からなくなって、広島に居た頃は求められてるから作りたかったし、教えたかったし、しっかりしたかったし、だったのかも。もしかしたらそんなに自分自身表現する事が根底になかったのかしら?と思うぐらいいろんな事を考えさせられた」
自分が本当にやりたかった事は、日本人らしさとは何か…
MIKIKO「NYで日本の文化を発表しますっていう舞台を観に行ったんです。でどんなことをやるんだろうと思って興味を持って観に行ったんですけど、やっぱり着物着て太鼓叩いて和の表現だったんですけど、それは間違ってるとか正解があるとは思ってないけど自分がやりたいことはそれじゃないなと思って。なのであえて日本っぽくするって言うよりもそこを意識しないようにするというか」
あえて日本っぽくしない
これが正解なのか不安な日々は続いた…
ところがその答えは帰国後すぐに確信へと変わったと言う
実は彼女たちの大ヒットはMIKIKOにとって全く予想外の事だったという
MIKIKO「事故… 事故というか(笑)。本当に想定外の、人生の中での出来事で。(小学)5年生から教えていて、3人が自分たちでぱふゅーむというグループを作って、でその担当の先生になって、そこからずっとなんですよ。だから彼女たちが東京に出てきた時も売れてなかったし本当れると誰も思ってないくらい、5人ぐらいのお客さん前で踊ってみたりっていう日々を繰り返してたから、もう愛情だけで、売れなくてもずっと振り付けていきたいグループだったからNYに行っても止めずにビデオレターで送っていたし。NYに行ってるときは日本の情報を見ないようにしてたからPerfume売れてることを知らなくて、帰ってきたら『ポスターに3人がいるんだけど?!』みたいな、ホントに浦島太郎状態で」
MIKIKOがダンスの素人だった生徒を最初から教えたのはPerfumeだけ
そんな彼女たちが自分の振り付けを世界に広めてくれた事はまさに夢のような話だったのだ
進むべき道が少しだけ見えた気がした
MIKIKO「帰ってきてみて、よりそこが鮮明になったというか、やるべきことがはっきりして日本人の体型に似合うものプラス緻密さというか細やかさみたいなのが日本独特の良さでもあるなと思うので、それが振りに知らず知らずのうちに反映される様にはなったと思ってます」
それにしてもまるでマリオネットのような振り付け
一体どこから生まれたのだろうか
MIKIKO「好みとして自分がダンスを踊ってますというより、日常の仕草とかが体現できたらその人が魅力的に見えるのではないかと思うことが多くて、ダンス踊ってますって言うんじゃなくてリズムに日常の仕草をはめていってるとこは振り付けの方法としてあって、なので『かな?』っていったら『かな?』っていう様なポージングを」
Perfumeの代名詞ともなった独特の振り付けは
日常生活のちょっとした仕草を歌詞とリズムにのせ切り取ることで生まれたものだった
MIKIKO「それがダンスっぽくないから独特と言われるのか… なぁ…?(笑)」
さらにMIKIKOの演出の真骨頂としてあげられるものがもう一つある
<テクノロジー×ダンス>
(場所:TSビル/ノア スタジオ/NOAダンス教室)
密着2日目この日はELEVENPLAYが海外公演に向けてテクニカルチームとダンスを合わせるという
そこへ現れたのはPerfumeの演出を切っ掛けに知り合ったという最先端テクノロジー集団ライゾマティクスのリーダー的存在 真鍋大度 Rhizomatiks
彼もまた無機質なテクノロジーに命を吹き込んでくれる人物を探し求めていたと言う
真鍋大度「人が介在して人とドローンが一緒に動くとか、人と映像がインタラクションするのが僕は一番パフォーマンスでやるなら興味があるので。ヘリがずっと飛んでるだけだとヘリショーになってしまうので、そうじゃなくて人がそこに入ってどういう関係性でパフォーマンスするかとか。じゃあそれをショーとしてどう見せていくかという所がMIKIKOさんがすごい得意としているところで。ラジコンヘリが自由に動くようになったんだけど、それと一緒にダンサーが踊る作品を作りたいんだけどなんか考えてっていうと、パッとヘリの動きとか理解したうえで演出を考えてくれる」
テクノロジーとダンスをミックスする際MIKIKOはダンサーの動きに関して特に気を付けている事があるという
<冷静と情熱の間>
MIKIKO「すごい高速にフォーメーションを変えたりとか、カノンと言って1カウントずれで表現していったり、冷静さがないと出来ない振り付けが多くて頭の体操ってよく言われるんですけど。なのでもちろん訓練も必要だし、それを情熱的にやっているのが奥ゆかしくて日本ぽいのかなと思って」
封印した中で息づく秘められた情熱
それがかもし出ている女性たちの動きこそがもっと見たいと観客に思わせるのかもしれない
そんなMIKIKOワールドを表現するため自ら選りすぐりのダンサーを集めたのが他でもないELEVENPLAY
彼女にとってなんのしがらみも無くやりたいことを実現できる場所なのだ
MIKIKO「ELEVENPLAYで発表するときはあえて狭い会場を選んでいたりするんですけど、もう肉眼で感じられるっていうのと空気が動く感じを感じて欲しくて、具体的な感想を求めたいというよりはまた来たいと思ってほしい」
ELEVENPLAY初のメキシコツアーは全公演スタンディングオベーションという大成功
地元の新聞に取り上げられるほどの大反響だった
では気になる今後の展開は
MIKIKO「普段(CMやMVの)仕事では今っぽいものとか照明も新しいものを使えたりとか、すごい貴重な経験をさせてもらえていて。ELEVENPLAYに関しては最先端というより自分が見たいものに耳を傾け続けて『今の私はこうです』と堂々と言える作品作りをし続けたい」
ELEVENPLAYの舞台を通じて新たな第一歩を踏み出したMIKIKOワールド
今後どんな手法で私達を驚かせてくれるのか
彼女の進化はさらに加速していく
Perfumeの愛され力、幸せの循環
TOKYO FM「澤本・権八のすぐに終わりますから。」 (2014.11.21,28) - ヒロログ
関連サイト&動画
Perfumeの世界観を支える4人のクリエイター (Four creators of Perfume) - YouTube
◆[2008/10/10]演出振付家 MIKIKO ~ BALANCE CONTROL ~トウキョウダンスマガジン : ストリートダンス界の要注意人物をピックアップ!
http://www.tokyo-dance-magazine.com/people/mikiko/
◆『ESPRIT JAPON』|BSフジ
http://www.bsfuji.tv/top/pub/esprit_jp.html
◆人 Gens丨Esprit Japon
http://espritjapon.com/gens.php